ROCK 'N' ROLL PEARL HARBOR

事務所が崩壊して数ヶ月立った
俺たちにはもう所属する事務所も無くなり、マネージャーや、
それまで、給料制で手伝ってくれていたローディーやスタッフも失った…
その時に残ってくれたスタッフは今でも手伝ってくれて本当に感謝している
専属事務所、専属レコード会社が無くなると言う事は
宣伝活動を狭い範囲内に限定される事で、
みんなにアピールする場所をかなり、制限された
俺たちはコレといった楽曲を作れず悩んでいた所、
タイチローと共同で"缶ビールとスゥエードシューズ"を作った。
91年の年末から休止していた俺たちは
92年6月、一発目に千葉は市川のCLUB GIOで、スタートを切った
久しぶりのLIVEでみんなにアピールする為に、みんなは知るはずもない
"缶ビールとスゥエードシューズ"を一発目に持ってきてLIVEをやった
新曲を一発目にやるのはリスクがあったが、
それが待っていたみんなへ俺たちからの感謝の証(しるし)だった
宣伝も今迄とは違って大きくできなくなっていたけれど、
まだみんなは待っていてくれた
俺たちは非力だけれど、自力ででも前進する事を決意した

カズキは久しぶりの起爆剤
ROCK 'N' ROLL PEARL HARBORを作りあげ、
徳間ジャパンのNさんの協力の元、日本コロンビアでアルバムリリースした
プロデューサーにサンハウスや、SHEENA & THE ROKKETSのベーシスト
奈良敏博氏を迎え、頭脳警察のパンタ氏に楽曲を提供して頂いた。
頂いた曲は生歌と生ギターでアバウトに録音されていた。
この曲に関してもリハをやる時間は全く無くて、
ぶっつけ本番でアレンジし、レコーディングをやった。
カズキが歌詞を書き"WILD CAT A GO-GO"というタイトルになった。
そのコーラスではフィンガー・ファイブのアキラとマサオに
"AM FINGERS"という名で参加して頂いた
ROCK 'N' ROLL PEARL HARBORの楽曲では
アナーキーの中野茂さんに参加して貰い、
ジェットボーイズのオノチンや、コモンズのグレイスが駆けつけてくれた。
そして、ピアノでは今回の新譜でも参加してくれた伊藤ミキオに参加して貰った
夜中のレコーディング、
オノチンとグレイスは女性もいる中、
そんなのはお構いなしにフルチン姿でマイクに向かい絶叫した
"ワッケンロー!パールハーバー!"
そして友人から新しく機材車を譲って貰い、 ツアーへ出向く為、
新たなローディとして荘七(そうしち)や、サックスのゴウを加えた

そして新たな航海へ出かける為に、数ヶ月間重く下ろしていた錨をあげた
俺たちは新たな友を武器にROCK'N'ROLL PEARL HARBORツアーを開始した
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Re: すごい
カズキはそれでも携帯を所有する気なし、理解不能!
そのV見たいね、もし良ければダビングしてちょうだい
そのV見たいね、もし良ければダビングしてちょうだい